朝晩の気温が3度を下回る春寒の日が続いていましたが、ようやく明日からは、本格的な春の陽気に包まれそうです。暖冬で待ちきれなかった桜も、つぼみも膨らみ、ところどころで来週位から開花していくのではないでしょうか。待ち遠しいですね。
さて、昨日で東日本大震災から13年が経過しました。
昨日で東日本大震災から13年が経過
2011年3月11日(金)14時46分、宮城県沖太平洋 130キロの地点で日本観測史上最大のマグニチュード9.0の大地震が起きました。大津波は、福島第一原子力発電所の原発事故を招きました。
震源域は広大で、東京でも震度5強、名古屋でも震度4、大阪でも震度3。当時は事務所に居りましたが、鉄骨造の建物が大きく揺れ、棚から物が落ち、デスクの上のパソコンのほとんどが倒れたのを覚えています。
交通網は遮断され、自宅が10キロ程度の方が列をなして歩いて帰宅する様子が鮮明に思い出されます。弊社でも、帰れない人は会社にそのまま泊まるか、近くのやっている飲食店で夜を過ごしていました。
被害状況
昨年時点で、死者 15,900人、行方不明者 2,523人。死者内、90.64%が溺死で、建物の倒壊による圧死、焼死は 5.15%。大津波による被害がいかに大きかったかがうかがえます。
建物の被害状況は、全壊 12万2,039戸、半壊 28万3,698戸、一部破損 75万戸。当時の避難者数は約47万人で、1年以内に12万3千戸あまりの仮設住宅に入居していました。
現在はどうかというと、福島原発の近辺以外では、インフラも産業もほぼ回復し、少しずつですが地元に戻っているそうです。しかし、13年経過した今でも仮設住宅に入居している方は605戸もあり、地元に戻れない避難民は約3万人もいるそうです。
東日本大震災が起きるまでは、戦後最大の被害だった阪神淡路大震災ですが、大阪、兵庫という経済大都市圏で、個人生活の被害はあるにせよ、建物や道路などの損壊が中心でしたから、急速に復興回復したように感じます。
もちろん、地震の被害の大きさをくらべるものではありませんが、東日本大震災でも、都市圏では経済活動が優先されるため、インフラや産業の復興が早く、地方部では、経済活動がない個人の生活が中心ですから、なかなか先へ進めないというジレンマがあります。
そういう意味では、今回の能登半島地震も多くの個人住宅が犠牲になっており、経済活動がない地方部ですから、多少の補助金や無利子の借入金だけではなかなか先へ進まないように感じます。
被災された方たちへの支援がどこまで届くのか不安です。